安田 祐実さん(Uターン 26歳)

【 安田 祐実さん 】

2016年鹿児島市からUターン
職業:農業

少し休憩をしたいと島へ

沖永良部高校を卒業後、7種目競技推薦で兵庫県の武庫川女子短大に進学しました。在学中、甲子園球場で売り子のアルバイトをした時に、仕事をやればやった分だけ対価を得ることができるインセンティブのしくみを知りました。

短大卒業後の1年間はフリーで働きながら、東京ではシェアハウスで暮らしたり、タイへ一人旅をしたりといろんな方と出会い社会勉強をしましたね。

その後、出張型セラピスト会社でセラピストとして働きました。会社の幹部から「鹿児島へ新規出店するので営業をやってみないか」と言われ鹿児島へ。
店舗でリーダー的な役割を担い働いていましたが、2年目になって行き詰り、悩み過ぎて苦しくなり少し休憩したいと思い、2016年2月に島に帰ってきました。前向きなUターンではなかったです。

実家が農家なので親の手伝いをしながら、次にやることを見つけられたらいいなと思って帰ってきました。

子供の頃食べたスイカの味が忘れられなく

帰って半年くらい経って、家の近くで無人市を始めました。
きっかけは、絵を描くことが好きだったので自分で描いた絵と自分で育てた農作物をコラボレーションして売ったら話題になるのでは!?と思ったのです。

もう一つのきっかけは、子供の頃に食べた父親が育てたスイカの味が忘れられなく、あの美味しいスイカを皆さんにも食べてもらいたいと思ったのです。

【 直売所 】
【 店内の様子 】

苗を育て、植え付け、受粉、摘果と作物の成長とともに愛着がわき、一人でも多くの方に食べてもらいたいと思いました。評判が口コミで広がり売れました。
自分で育てた作物が、お金に換わる喜びと楽しさを覚えました。

自分が島にいる意義

我が家の農業は、島の特産品でもあるじゃがいもが主体ですが、じゃがいもの植え付けまでのつなぎとして、アメリカインゲンも作っています。私が帰ってきたことを機に、作付面積が4ハウスから9ハウスまで増えました。それだけ親から頼りにされているのかなと思います。

Iターンの父が借金をして始めた農業なので、農業の大変さをわかっていました。小学生から高校生までの土日は畑の手伝いだったので、農業は一生やらないだろうと思っていました。
それでも、島に帰ってきたということは、自分が島にいる意義があるのかなと思います。

先人の知恵で土づくり

「いい土にはいい作物ができる。我が家の土づくりは自慢できる。いい物を作っているというプライドを持ってやっている」と、小さい頃から親に教えられてきました。

【 赤土で育った美味しそうなじゃがいも 】

じゃがいもは4月下旬で収穫が終わり、夏に土づくりを行います。先人からの知恵で、畑にススキを刻んですき込んでいます。そうすると水はけがよく雨の日の翌日でも入れる畑になっています。すき込む作業は大変ですが、我が家ではそれをやり続けています。

【 いつも明るい安田さん親娘 】

年中働いているように思われますけど、短期集中型でオンとオフのメリハリがあり、じゃがいも堀の時期はみっちり働き、親子3人で4人分くらい働いています。作業効率がよい方だと思います。

【 一心不乱にじゃがいもを取り込む祐実さん 】

じゃがいも堀が終わり、時間的に余裕ができるとそれぞれ好きなことをやっています。3人揃って趣味が多く、趣味の時間を持てるので農繁期を乗り切ることができます。

チャレンジしたいことがたくさん

今後、じゃがいもの作付面積を増やしていきたいと考えています。作付面積が増えると親子3人では間に合わなくなるので、期間ボラバイトという形で学生さんなどのインターンを受け入れていきたいと考えています。そして、その方々に気持ちよく働いてもらうにはどうしたらいいのか、まで考えられる人になりたいです。

いい作物を育てるのが第一義ですが、営業もできるオールマイティな人になりたいです。

営業先を開拓して、オリジナルのダンボールやPOP、ECサイトを作り、直販もやってみたいです。直接消費者の声を聞き、作物に反映できたらと思います。

島内外での交流

20代の農業者が中心になった4Hクラブの集まりにも参加して、新規野菜の可能性を探っています。今年はズッキーニーを作っています。新規就農の方と組んで何かできたらと思います。

【 4Hクラブの活動 】
【 ズッキーニー 】

私の周りには、やる気のある人が多く、同世代で気軽に集まって、どうやったら稼げるかといった話をしています。それぞれ作っている作物は違いますが、いろんな情報を聞けるので刺激を受けています。

農業を継がない農家の息子さん娘さんに伝えたい

自分が島で頑張っている姿を見て、島外にいる農家出身の息子さん、娘さんが、島に帰って農業してもいいかなと、思ってくれると嬉しいです。
「畑があり、農機具があり、倉庫もあるのに、後を継がないなんてもったいない!」と言いたいです。先祖代々土づくりをしてきた畑を人手に渡すなんてもったいないとリアルに思います。

【 安田さんちのじゃがいも畑 】

もし後継ぎがいない場合、私たち若者が頑張っている姿をみて、畑を貸してもいいかと思ってもらえたらと思います。時間が掛かると思いますけど、変わっていくことを願っています。

心の持ちようが変わった

自分が生まれた地が一番合っているのだと思います。魂が納まる感じがします。ストレスがなく自然体でいられます。
平和な島で楽しく過ごすだけで、帰ってきてよかったと思います。心の持ちようが変わりました。

島に帰ってきて自分のための時間が増え、本をたくさん読めるのもいいですね。
島に帰ってきて旅をするようになりました。来月は、友人とハワイに一カ月くらい滞在する予定です。
出かけた地でいろんな分野の方と知り合えるのがいいです。次はどこへ行きたいと思うと仕事を頑張れます。

島での農業の楽しさが伝えられて、農業は大変だというネガティブなイメージを払拭したいです。

小林 英俊さん(Iターン 31歳)

2011年札幌市からIターン
家族構成:夫婦・子ども2人(0歳・2歳)
職業:会社員・画家

移住のきっかけは島の人の温かさ

大学生の頃からバックパッカーを始め、南の島に暮らす人々の生活に憧れて、将来は海の見える家に住みたいと強く思い描いていました。

その後バリ島の伝統絵画を勉強するために、バリ島へ通っていましたが、家族で永住するには難しいと判断し、国内の南の島に目を向けて、与那国島を始め沖縄の離島を中心に巡り、定住地を探していました。

伊江島のタバコ農家で働く機会がありましたが、生計を立てるには厳しいと感じ、インターネットで「離島 農業」で検索したところ、”沖永良部島”がヒットしました。

先ずは、沖永良部島に行ってみよう!と観光で訪れた時に、島の居酒屋のご夫婦にお世話になり、島の人の温かさに触れ、沖永良部島への移住を本気で考えるようになりました。
その時に農園を見学し、そこで半年後働くことにしました。

移住した現在でも、居酒屋のご夫婦には何かにつけ相談に乗ってもらっています。

夢にまで見た海の見える家を購入

島の2つの農園で働いた後、建設会社で半年、3年前からは、生コン会社で働いています。

いずれの職場も島の人づてで紹介してもらいました。
誰と出会い、誰と繋がるかによって、島での暮らしが大きく左右されると思います。

家に関しては、1軒目は町の空き家バンクで紹介されたアパートに2年住みました。
その後、役場の方から空き家を紹介していただきました。
自分達でリフォームをして2年住み、その間、海が見える家を探していました。

今の家が売りに出ていることを知人に教えてもらい来てみると、まさしく夢にまで見た海の見える家だったのでその場で購入を決めました。
家のリフォームは、業者に委託し、自分達で新たに、海を独り占めできるウッドデッキも作りました。
ウッドデッキからは満潮時にウミガメが見え、冬になるとザトウクジラも現れます。

小林さん宅から見えるワンジョビーチ
海を独り占めできる手作りのウッドデッキ
猫もヤシの木陰で気持ちよさそう

島の子供たちに絵を楽しんでもらう活動を

学生時代に思い描いていた夢が現実となった今、沖永良部島に来てよかったと思います、
子供が安心して遊べる環境があり、のびのびと子育てができるのはいいですね。
しかし、医療についてはいざと言うときに島外の医療機関に掛かるとなると少し不安・不便を感じます。

新しく家族になったヤギ
子供達が安心して遊べる環境

集落では、島の一大イベントの敬老会で琉球舞踊を踊ったり、墨でライブペイントをしたりと、集落行事に楽しく参加させてもらっています。

集落の敬老会でライブペインティングをした絵に色を
アトリエは、庭の芝生の上や海の見える庭など

昨年、縁があって和泊小学校の6年生のクラスで絵の授業をする機会を持たせて頂きました。

今年は4年生の授業で行う予定です。
これを機会に、自然豊かで描く題材が多い島に生まれた子供たちが絵に興味を持つことに貢献できたらと思っています。

小林さんのアトリエ
現在製作中の絵
カラフルな画材
小林さんの作品
小林さんが製作した沖永良部島の海をモチーフとした手ぬぐい。 東京などで販売したところ大変好評だったそう。

絵画、デザインの注文も承っております。
お気軽にご相談下さい。
hidegyun@gmail.com

笠間 友さん(Iターン 40歳)

2008年東京都からIターン
家族構成:夫婦・子供2人(13歳・10歳)
職業:和泊町シルバー人材センター職員

突然の出来事で移住を決意

2007年の秋、沖永良部島に住む義母が急病にかかり、妻から看病をするために当分の間、島に帰りたいと相談を受けました。
私は仕事が忙しく、子供たちは当時4歳と1歳と小さかったので大変悩みました。
私の両親は「あなたたち家族が後悔しない選択をしなさい。」と言ってくれました。

私自身何度か島を訪れたことがあり、美しい自然があり、素朴で、人情味あふれる島に魅力を感じていました。
妻と話し合い、家族で移住することにしました。

問題は住居と仕事でしたが、島に住む義父に相談したところ、当面は家に同居させてもらえることになり、仕事は島に行ってから探すことにしました。

新しい生活のはじまり

2008年5月、沖永良部島の生活がスタートしました。
妻の親戚の皆さんは大変喜んでくれました。

とにかく、見るもの、聞くものが新鮮でした。島では大字(おおあざ)という集落の単位が大きな意味を持っており、独自の行事や活動を行っています。
それらに参加していくうちに、顔と名前を憶えてもらい、少しずつ地域に馴染むことができました。

仕事は、失業給付を受けながら探しました。島に来て半年ほど経ったとき、縁あって鹿児島県の非常勤職員として働けることになりました。

安心・安全な文化・環境

島には人を大事にする文化があります。
例えば、子供だけで遊びに出かけても、地域の方が見守ってくれているという安心感があります。
子供たちも島ならではの人の温かさに触れ、思いやりの心が育つのではないかと思います。

自然環境の面では南の島では珍しくハブがいないことや、花粉の飛散がないので花粉症の私は大変助かっています。

趣味を活かせる時間が作りやすい

東京で暮らしていた頃に比べて、時間が作りやすいのが、島暮らしの良いところです。
サッカーが趣味なのですが、東京にいた頃は、通勤に1時間半もかかっていたため中々できませんでした。

しかし、島では満員電車も渋滞もありません。
今は職場まで原付で5分という環境で、仕事が終わってからサッカースポーツ少年団のコーチをしたり、子供達と一緒に練習をしたり、趣味の時間を持つことができています。

東京に戻ることも考えた

島へ来て5年目の時、利便性なども考え職場近くの町営住宅へ移りました。
そして7年目、私は39歳になり転職を考えていた時、今後島で暮らしていくか、もう一度東京へ戻ろうか悩みました。
そこで、私の両親や、友人達に相談するために東京に帰省しました。

両親は、私たち家族が島に行ってからの方が生き生きとしていると言ってくれました。
また、友人たちも「都会と島の両方を知る私だからこそ出来ることがあるはず。」と言ってくれました。

私はその旅の中で、島の暮らしが自分の価値観には合っているんだという結論に至りました。
島へ戻り本腰を入れて転職先を探し始めた時、地元のケーブルテレビで和泊町シルバー人材センターの職員募集の広告を見て応募し、縁あって2015年11月から働かせていただいています。

人がキラキラと輝ける島

島の魅力について考えた時、まっさきに浮かんだのは島で出会った人たちの優しい笑顔でした。

私は島に来て、たくさんの方の優しさに触れ、自信を持てたし、自分も優しくなれた気がします。
人が人として人らしく、キラキラと輝ける島、それが沖永良部島だと感じています。

朝戸 慎治さん(Uターン 40歳)

2013年横浜市からUターン
家族構成:夫婦・子ども1人(6歳)
職業:鍼灸・マッサージ師(あさと健康院)

いつかは沖永良部島に帰りたい

私は沖永良部出身で、父親の仕事の関係で沖永良部島には幼少期数年しか住んでいないのですが、その頃の島の景色、人々の温かさが心に残っていて、いつかは沖永良部島に帰りたいと思っていました。

将来の島での生活を考え、手に職をつけるために、鍼灸・マッサージ学校に通い、鍼灸師の資格をとりました。
その後しばらく横浜で鍼灸師として働いていましたが、子供が生まれ、「子供が小さいうちに島に帰りたいね」と二人で話し、2013年に沖永良部島に帰ってきました。
二人だけの生活だったら、島に帰るのはまだまだ先だったかもしれません。

鍼灸・マッサージ「あさと健康院」を開業

島に帰ってきた当初は親と同居していましたが、一カ月後に親の知人の紹介で家を見つけることができました。
沖永良部島の住宅情報は少なく、賃貸物件も非常に少ないという状況でした。
島に知人がいて大変助かりました。

幸いなことに、紹介していただいた家は同業者が使っていた店舗兼住宅であったため、そのまま使うことができ、引越しと同時に、夫婦で(妻も鍼灸マッサージ師)鍼灸・マッサージ「あさと健康院」を開業しました。

開業にあたり、折り込み広告、地元ケーブルテレビでの文字広告でPRをしました。
予想はしていましたが、来院のお客様はチラホラという状況でした。

施術で島の人たちの体に触れて行くうちに、これまで都会で施術していたオフィスワーク中心の人の筋肉と肉体労働をされている島の人の筋肉の違いに気づきました。
それから、島の人にあう施術方法を研究し、少しずつ施術を工夫してきました。

2年目に施術料金を少し値下げし、自分達が何者かわかってもらうため、毎月オリジナルの新聞を発行しました。
すると徐々にお客さんも増え、経営も軌道に乗ってきました。

3年目に入り開業時の料金に戻しましたが、それでもお客さんは増えています。
島の人にあった施術の工夫や、自分たちの事を知ってもらう取り組みが大切だったと今では思います。

また、新たに訪問マッサージのサービスも始めました。
「島人を笑顔に、元気」をモットーに、”島人の健康づくり”のために、”島人が求めているもの”をこれからも追求していきたいと思います。

島外出身の妻や子供たちに島の良いところを知ってもらいたい

島の子育て環境は、先生方をはじめ、こども園の環境などもとてもすばらしいと思います。
特に外遊びは子供にとっても良い環境です。
雨の日にも走り回れる場所があるといいなぁと思います。

プライベートでは、集落活動、町の行事など様々な活動に都合がつく限り参加しています。

集落活動については、1年目は様子がわからず戸惑いました。
移住者にとっては、集落の会合、清掃、お祭りなどの行事予定や字費など集落に関する情報があると助かると思います。

休日には、祖父母や両親の畑作業を時々手伝っていますが、最近は無農薬で自分たちの食べる野菜作りに励んでいます。
農業の勉強会を開催するなど、仕事以外のつながりも少しずつ広がっています。

島外出身の妻は、移住前は、島の気候風土、習慣などになじめるか不安があったようです。
私の同級生の集まりには、島外出身の奥さん達も一緒に集まるようにしたり、島の織物教室に通ったりして、少しずつ知人を増やしています。
島外出身の妻や子供たちにも、地域活動に参加し、島の良いところを知ってもらいたいと思います。

鍼灸・マッサージ「あさと健康院」サイト

遠藤 仁司さん(Iターン 43歳)

2010年横浜市からIターン
家族構成:夫婦・子ども1人(3歳)
職業:花卉農家

沖永良部島出身の上司の話を聞いて

夫婦二人ともダイビングが好きで、沖縄の離島を訪れては「島でくらすのもいいね」という話をしていました。
職場に沖永良部島出身の上司がいて、島の話を聞き、一度行ってみたいなあと思っていました。
そして2010年5月に沖永良部島を訪れました。

その時に、今でも忘れられない出来事があります。
ホテルから屋子母海岸を目指して歩いていた時に、突然雨が降り出してしまい、困っているところに1台の車に拾ってもらいました。
すれ違った車で、雨が降ってきたので心配になって引き返してきたというのです。
びっくりと同時にうれしくありがたく、人情味あふれる島だなぁと改めて感じました。

沖永良部島で農業をしたい!

南の島への移住を考えていた頃、勤務先が早期退職制度を募集していたので、沖永良部島に移住し農業をしたいと本気で考え始めました。
その3か月後に、本格移住に向け、再び沖永良部島を訪れました。

農業者ブログで知った農園へ見学に行くと、ちょうど人を募集しているとのこと。
その場で働きたいと伝え、2か月後から雇ってもらうことになりました。

今思えば、いろんな場面でタイミングがよかったなあと思います。

集落の人との交流を求めて

住む家は役場に相談しました。
職員の方が熱心に探してくれて家を借りることができました。
最初の家には2年住みました。

島ならではの集落の人との交流を求めて、中心部ではなく、人口が少ない集落で家を探すため、町の空き家バンクに載っていた大家さんに連絡し面談することになりました。

面談の時には、島出身の農園の同僚が「どこの誰だかわからない人に簡単に家を貸さないと思うから私が付いていってあげる。」と一緒に行ってくれました。
おかげで話がスムーズに進み、家を借りることができました。

その集落は、将来、農園を独立し花卉農家になり、この辺りに畑を借りられたらいいなと話していた集落だったのです。

引っ越し後は、集落活動に積極的に参加しました。
今では集落の伝統踊りを踊れるまでになり、集落の方々とは親戚同然の付き合いをさせていただいています。

農地を確保!

農地を持っている大家さんに自分が描いているビジョンを伝え、「畑を貸してほしい」と毎年口説き続け、2015年1月に農地を貸していただけることになりました。
農業をやりたくても畑が借りられず、困っている人がたくさんいるという話を聞いていたので、畑を借りることができた私は、本当にラッキーでした。

2015年8月に、新規就農者認定制度を受け、5年間、花農家としての技術や仕事のノウハウを学んだ農園を独立し、就農準備を始めました。

10月には、県の農業普及課の新規就農者向け融資を受け、平張りなどの設備を整え、苗を植えました。
いざ自分たちだけで始めると苗の成長が遅く感じ、ちゃんと育つのか今から心配です。
それでも、せっかく実現できた島での農業。
これからも良い花を作れるように頑張りたいとます。

生活レベルは変わらず

生活面では、都市部に比べ収入が少なくなり、島の物価も比較的高いですが、支出が少ないので生活レベルは変わらないです。
都会での生活と比べると時間にゆとりができ、気持ち的にもゆったりできている感じがします。

子育て環境は、島の少ない生徒数で小学校、中学校と高校と育って、都会の厳しさに耐えられる精神力がつくのか心配でもあります。
しかし、同年齢だけでなく、お兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒に育っている感じがしてとてもいいと思います。