2011年札幌市からIターン
家族構成:夫婦・子ども2人(0歳・2歳)
職業:会社員・画家
移住のきっかけは島の人の温かさ
大学生の頃からバックパッカーを始め、南の島に暮らす人々の生活に憧れて、将来は海の見える家に住みたいと強く思い描いていました。
その後バリ島の伝統絵画を勉強するために、バリ島へ通っていましたが、家族で永住するには難しいと判断し、国内の南の島に目を向けて、与那国島を始め沖縄の離島を中心に巡り、定住地を探していました。
伊江島のタバコ農家で働く機会がありましたが、生計を立てるには厳しいと感じ、インターネットで「離島 農業」で検索したところ、”沖永良部島”がヒットしました。
先ずは、沖永良部島に行ってみよう!と観光で訪れた時に、島の居酒屋のご夫婦にお世話になり、島の人の温かさに触れ、沖永良部島への移住を本気で考えるようになりました。
その時に農園を見学し、そこで半年後働くことにしました。
移住した現在でも、居酒屋のご夫婦には何かにつけ相談に乗ってもらっています。
夢にまで見た海の見える家を購入
島の2つの農園で働いた後、建設会社で半年、3年前からは、生コン会社で働いています。
いずれの職場も島の人づてで紹介してもらいました。
誰と出会い、誰と繋がるかによって、島での暮らしが大きく左右されると思います。
家に関しては、1軒目は町の空き家バンクで紹介されたアパートに2年住みました。
その後、役場の方から空き家を紹介していただきました。
自分達でリフォームをして2年住み、その間、海が見える家を探していました。
今の家が売りに出ていることを知人に教えてもらい来てみると、まさしく夢にまで見た海の見える家だったのでその場で購入を決めました。
家のリフォームは、業者に委託し、自分達で新たに、海を独り占めできるウッドデッキも作りました。
ウッドデッキからは満潮時にウミガメが見え、冬になるとザトウクジラも現れます。
島の子供たちに絵を楽しんでもらう活動を
学生時代に思い描いていた夢が現実となった今、沖永良部島に来てよかったと思います、
子供が安心して遊べる環境があり、のびのびと子育てができるのはいいですね。
しかし、医療についてはいざと言うときに島外の医療機関に掛かるとなると少し不安・不便を感じます。
集落では、島の一大イベントの敬老会で琉球舞踊を踊ったり、墨でライブペイントをしたりと、集落行事に楽しく参加させてもらっています。
昨年、縁があって和泊小学校の6年生のクラスで絵の授業をする機会を持たせて頂きました。
今年は4年生の授業で行う予定です。
これを機会に、自然豊かで描く題材が多い島に生まれた子供たちが絵に興味を持つことに貢献できたらと思っています。
絵画、デザインの注文も承っております。
お気軽にご相談下さい。
hidegyun@gmail.com