笠間 友さん(Iターン 40歳)

2008年東京都からIターン
家族構成:夫婦・子供2人(13歳・10歳)
職業:和泊町シルバー人材センター職員

突然の出来事で移住を決意

2007年の秋、沖永良部島に住む義母が急病にかかり、妻から看病をするために当分の間、島に帰りたいと相談を受けました。
私は仕事が忙しく、子供たちは当時4歳と1歳と小さかったので大変悩みました。
私の両親は「あなたたち家族が後悔しない選択をしなさい。」と言ってくれました。

私自身何度か島を訪れたことがあり、美しい自然があり、素朴で、人情味あふれる島に魅力を感じていました。
妻と話し合い、家族で移住することにしました。

問題は住居と仕事でしたが、島に住む義父に相談したところ、当面は家に同居させてもらえることになり、仕事は島に行ってから探すことにしました。

新しい生活のはじまり

2008年5月、沖永良部島の生活がスタートしました。
妻の親戚の皆さんは大変喜んでくれました。

とにかく、見るもの、聞くものが新鮮でした。島では大字(おおあざ)という集落の単位が大きな意味を持っており、独自の行事や活動を行っています。
それらに参加していくうちに、顔と名前を憶えてもらい、少しずつ地域に馴染むことができました。

仕事は、失業給付を受けながら探しました。島に来て半年ほど経ったとき、縁あって鹿児島県の非常勤職員として働けることになりました。

安心・安全な文化・環境

島には人を大事にする文化があります。
例えば、子供だけで遊びに出かけても、地域の方が見守ってくれているという安心感があります。
子供たちも島ならではの人の温かさに触れ、思いやりの心が育つのではないかと思います。

自然環境の面では南の島では珍しくハブがいないことや、花粉の飛散がないので花粉症の私は大変助かっています。

趣味を活かせる時間が作りやすい

東京で暮らしていた頃に比べて、時間が作りやすいのが、島暮らしの良いところです。
サッカーが趣味なのですが、東京にいた頃は、通勤に1時間半もかかっていたため中々できませんでした。

しかし、島では満員電車も渋滞もありません。
今は職場まで原付で5分という環境で、仕事が終わってからサッカースポーツ少年団のコーチをしたり、子供達と一緒に練習をしたり、趣味の時間を持つことができています。

東京に戻ることも考えた

島へ来て5年目の時、利便性なども考え職場近くの町営住宅へ移りました。
そして7年目、私は39歳になり転職を考えていた時、今後島で暮らしていくか、もう一度東京へ戻ろうか悩みました。
そこで、私の両親や、友人達に相談するために東京に帰省しました。

両親は、私たち家族が島に行ってからの方が生き生きとしていると言ってくれました。
また、友人たちも「都会と島の両方を知る私だからこそ出来ることがあるはず。」と言ってくれました。

私はその旅の中で、島の暮らしが自分の価値観には合っているんだという結論に至りました。
島へ戻り本腰を入れて転職先を探し始めた時、地元のケーブルテレビで和泊町シルバー人材センターの職員募集の広告を見て応募し、縁あって2015年11月から働かせていただいています。

人がキラキラと輝ける島

島の魅力について考えた時、まっさきに浮かんだのは島で出会った人たちの優しい笑顔でした。

私は島に来て、たくさんの方の優しさに触れ、自信を持てたし、自分も優しくなれた気がします。
人が人として人らしく、キラキラと輝ける島、それが沖永良部島だと感じています。