阿部 倫久さん(Iターン 46歳)

【 阿部 倫久さん 】

2014年東京都からIターン
職業:農業

南の島で農業をやりたい

20代から43歳まで東京の飲食店でバーテンダー、ホールスタッフ、店長といった主に接客業をやっていました。
27歳の時に宮古島で1年間、29歳の時に小笠原で1年間、農業のボラバイトを経験しました。

その時に農業のおもしろさと楽しさを知りました。がしかし、田舎生活は刺激がないので1年もたなかったですね。
歳を重ねていろんな欲がなくなり悟りの境地になったら、南の島で農業をやりたいと思いました。
そのことを両親にもちょくちょく話していました。

運任せで移住地探し

43歳になり仕事の切りがよかったので、「南の島へ行こう!」と決行。
未だ行ったことのない奄美群島の島々は静かでいいのでは?と思い、トランクひとつで奄美大島~喜界島~徳之島~沖永良部島と島をめぐり、運任せで移住の地を探すことにしました。

最初に訪れた奄美大島で知り合った方から、喜界島で移住支援をされている方を紹介してもらい喜界島へ。喜界島で住む家は見つかりましたが、やりたかった農業の仕事がなかったので、徳之島、沖永良部島まで南下。喜界島の方に沖永良部島の知人を紹介してもらいました。

その方が和泊港まで迎えにきて下さり、「島で農業をやりたい」と話すと、「それだったら紹介したい人がいる」と、その日の夜、今働いている農園の社長を紹介してもらいました。

社長に「南の島で農業をやりたい、ゆくゆくは自営をしたい」と自分の思いを伝えると、「明日からうちの農園で働いてみたら」と言っていただき、家財道具がある住む家まで紹介してくれました。
このように、とんとん拍子で決まった移住の例はあまり参考にならないと思いますが・・・

現地の人と知り合いになり、自分が何をしたい、求めていることを伝えると、情報が集まってくることをこれまでの旅行で経験していたので、何とかなるとは思っていたのですが、さすがに、自分がやりたかった農業の仕事が見つかったのは本当にラッキーだと思いました。

からだはきついけど心が楽な農業

沖永良部島に着いて翌々日から農園で働きました。

農園では、ソリダゴ、キクなどの花がメインでしたが、私が働きだした頃から花以外にたまねぎ、じゃがいも、さつまいも、人参の栽培を始めました。台風被害などで花がダメになった時にリスク分散できる野菜の栽培をすることにしたそうです。

【 沖永良部島で栽培が盛んなキクの花 】

農業を目指してIターンしてきたけれど、作業の厳しさに耐えられず島を離れて行った人たちを見ています。
憧れだけでのIターンは厳しいものがあります。農作業はそう甘くはないです。

【 キクの刈り取り作業 】

私は、20代のころに宮古島での農業で、南の島の夏の暑さ、農作業のきつさ、人間関係の濃さも体験していたので、やっていける自信がありました。
からだはきついけど心が楽なのが、私が農業を志した大きな理由です。接客業をやっていた時は、からだは楽でしたが心が疲れていましたね。

勤務は、7時半から17時半が基本で、毎日朝礼があり、外国人研修生を含めて総勢15人くらい集まって、その日の作業の指示があり、各自各圃場へ行って作業をやります。
数日同じ作業が続くこともありますが、日々違う作業をやっています。

【 2月から始まるじゃがいも堀り 】

季節によってやる作業が違います。春は植え付け、夏は管理作業、秋には収穫、さらに、作物によって作業が違うので、ある程度自信を持ってできるようになったのは丸2年経ってからでしょうか。
先輩に教えてもらいながら、1年が過ぎ、翌年は復習とういう感じです。

野菜農家をやろうと決意

島に来て一番困ったのは、スーパーで売っている野菜が高いことです。運送費がオンされているからしようがないのでしょうが。農家さんがたくさんいるのになぜに地元産の野菜を売ってないの!?と思いました。特にトマトが高かったので困りました。

野菜農家をやろうと決意しました。

すぐに、庭の隅っこを鍬で耕して自分で食べる分の野菜を作りました。
1年半くらい経って、社長にそろそろ本格的に野菜作りをやりたいと相談したらところ、農園では狭くて使いにくい5畝くらいの畑を貸してくれました。

その畑に、春菊、たまねぎを植えつけ、2016年の2月に春菊、4月にたまねぎをスーパーに出しました。その後、空芯菜、レタスを作り、少しずつではありますが、スーパーでの販売を始めました。

自分で作った野菜を島内で流通させたい

将来的には、自分で作った野菜をスーパーや直売所を介して島で流通させたいです。常に3品種の野菜を毎日3、4箇所のお店に出していけたらいいですね。

【 スーパーの直売所コーナーに野菜を出す阿部さん 】

社長には、独立してこういうことをしたいという話を日ごろから話しています。

独立するには、畑の面積をもっと増やさなくてはいけません。しかし、畑を借りるのは容易なことではありません。移住してきて人とのつながりで運よく4反7畝の畑を確保できましたが、3、4年掛けて、面積を増やしていくつもりです。そのためには、島の人たちとの信頼関係を築いていくことが、大事なことだと実感しています。

【 スーパーの野菜担当者と話す阿部さん 】

2017年に、農業委員の方に農家登録を進められ登録しました。登録すると自動的に新規就農者となります。耕作地が5反以上になると認定農業者になり、畑を借りやすくなり、融資を受けやすくなります。今、耕作地は4反7畝なのでもう少しです。当面は認定農業者を目標にがんばります。

野菜づくりは失敗の連続だけど

面積の広い畑は、野菜づくりには向いていなかったために、さとうきびを作っています。

【 伸び伸びと育ったさとうきびと阿部さん 】

その畑の隅で、へちま、トマト、人参、島バナナ、アボカドを作っています。
アボカドは、苗を買って植えました。実がなるのは2年くらい掛かりそうです。

【 アボカド 】

いろんな野菜を作ってスーパーに出したら、島の人たちに喜んでもらえるかなと思って。来年はイチゴを出す予定です。
最近、近所のおばあちゃんたちが、直接買いに来るようになりました。嬉しいですね。

野菜の栽培方法は、本とネットを見ながら、小さな面積で作って、次に苗数を増やして作るというステップを踏んで、畑で本格的に栽培しています。それでも失敗の連続です。

【 へちま畑 】

たとえばトマトだと百株くらい栽培しますが、収穫の半分は出荷できません。B品で売ることも可能ですが、同僚の外国人研修生にあげると「美味しい」と喜んで食べてくれます。

畑にいる時間が楽しい

人生運任せのスタンスですが、その時々の出来事を通して成長できたらと思っています。
至極シンプルで、「南の島で農業をやりたい」だけです。それ以上何も求めていません。

【 トマト畑で作業をする阿部さん 】

今は、農園で働きながら、休日、出勤前の1時間、昼休み、農園が終わってからの時間に自分の畑のことをやっています。畑にいる時間が楽しくてしようがないです。

農業は定年がないのでゆっくり、マイペースでやっていきます。