2013年鹿児島市からUターン
家族構成:夫婦・子ども2人(1歳・3歳)
職業:花農家
Uターンのきっかけ
沖永良部高校を卒業後、福岡の大学に進学。その後、鹿児島市の福祉関係の会社で5年間勤め、2013年に島に帰ってきました。
Uターンのきっかけは、いつも強気な父親がつぶやいた「後継者がいる農家さんには敵わないな」ということばを聞いて、そろそろ帰るタイミングなのかなと思いました。
長男だからというのもありますが、これまで育ててくれた親に恩返しをしたく、いずれは島に帰りたいと思っていました。
島外出身の妻には、結婚を決めた時にいずれは島に帰りたいと話していました。
こんなに早く帰る予定ではなかったのでびっくりしていましたが、なぜ早く帰る決意をしたかを伝えたら納得してくれました。
就農を決意
実家は30年前からスプレー菊をメインにした花農家を営んでおり、小学年の頃から畑仕事の手伝いをしていました。
子供の頃の手伝いと就農としての仕事は全く違いますが、自分が一緒にやることで、もっと生産量を伸ばせるのではと思い、就農という形を取りました。
父親と一緒に働き始めて、こんなに花の一本一本に愛情を込めて作業をやっているだと気づかされました。
果たして自分は、父親のようにできるのかと思う日々でした。
圃場ごとの年間スケジュールを作成
父親と時々母親、中国からの研修生2名、僕の5名でやっています。
年間約140万本のスプレー菊を生産しています。数年前から夏菊の生産も始め、生産本数が徐々に増えています。
いつ頃どんな仕事があるということが、事前にわかっているとわかっていないでは作業効率も違うため、圃場ごとに年間スケジュールを立てています。何よりも年間スケジュールによって意思の疎通が図れるのがいいですね。
島の花卉産業を何とかしたい!
島に帰ってきて1年後に、花卉専門農協の青年部に入会しました。
会員は20人、ほとんどが後継者ですが中にはIターンの方で新規就農もいらっしゃいます。
意識の高い先輩方が多く、東日本大震災、台風などの影響で、花卉の生産本数が全盛期の半分まで落ち込んでしまい、島の花卉産業を何とかしたい!、安定出荷、安定価格に持っていきたい!と、仲間で話しています。
花市場の方と話をすると、花が計画通りに入荷するのか不安だと言われます。
今期は「生産量が80%減るかもしれない」と言われると不安になり、輸入品を仕入れる。いざふたを開けてみると国内の産地からは、20%減どころか100%、120%の生産量が入荷し結局、国内産品は低価格になるという状況です。
この状況を何とかしなくてはと思っている人が、花卉専門農協の青年部に集まっています。
青年部の意見を尊重できる組織になりつつあるので、意見を言うようにしています。
ICTを活用した生産管理システムを導入
花卉専門農協さんが、4年前からわれわれ生産者が市場調査やお客様と相対する機会をつくってくれました。お客様と相対することによって、どのような花が求められているかがわかります。
2年前には、実儒者ニーズに対応するために、スプレー菊を対象に植え付けや出荷の時期などの情報を共有するICTを活用した生産管理システム導入の検討が始まりました。
今年、そのシステムのデモができ、花卉専門農協の青年部8名が自分の携帯に、植え付け数、出荷時期のデータを入力しています。台風被害にあった場合には、早い段階でマイナスになる量を入力します。
幸いにも沖永良部島産の花の評価があがっているので、来年度からは、正確な計画出荷情報を市場さんに提供して、市場さんと信頼関係が築いていけたらと思っています。
沖永良部島の花卉産業を盛り上げたい!
当面の目標は、取り組み始めた出荷予測システムを2、3年以内に完成させて、契約販売率の向上を図り、単価を安定させ、生産量が維持できる状況まで持っていくことです。
生産量、単価が安定することによって、作付けの調整ができ、農作業の時間が減り、家族との時間が持てるようにしたいです。
2世代家族の家事全般を一手に引き受けてくれている妻には、「今が頑張り時だから」と話しています。
島の花卉産業としては、徹底した品質管理、安定した出荷数を目指して出荷団体が一丸となって沖永良部島の花を売り、全盛期の出荷量に近づけていけたらと思います。
そして、われわれの取り組みを知った花卉農家の息子さん、娘さん、新規就農者が、沖永良部島で花づくりをやってみたい!と思ってくれたら最高です。