グラフィックデザイナー 要 笑子(かなめ えみこ)さん
沖永良部島へ移住と同時にフリーランスになった要さん、のんびり島暮らしでだらけてしまうのでは?と心配していたけど、実際の島での仕事は、お客さんの反応をダイレクトに感じることができ、もっと勉強しようという思いが強くなったそうです。
田舎で商売するには
島に移住した当初、四国で仕出し屋をやっている母に、田舎で商売していくにはどうしたらいいのかを相談しました。母からは「商工会に入って知り合いを作るのが一番」と言われました。
同じ頃に、商工会に入っている知人からも「商工会に入会しない?」と誘われていたので、移住半年後にデザイン事務所の開業届けを提出して、商工会青年部に入会しました。
デザイナーが移住してきたという噂が広まり
商工会メンバーは、デザインの重要性をわかってくれる方も多く、メンバーの方がお客さんを紹介してくれることもあります。島に来た当初、最も多かったお仕事は名刺作成でした。名刺はデザイナーの様子伺いにいいツールだと思います。どんな人に配っているのか、どう思われたいかを聞いて作るようにしています。
デザイナーが移住してきたという噂が広まり、名刺、ホームページ、ポスター、ガイドブックなどの冊子と仕事の依頼が徐々に増えてきました。
コミュニケーションとリサーチを重ねる
島内の仕事は、全てお任せというパターンが多く、例えば、ホームページを作る場合、サーバー選択、ドメイン決めから始めることがあります。その後に、ヒアリングしながらイメージ、デザインを決めていくのですが、なかなか決まらないことが多く、しまいには「好きなように作っていいよ」と言われることもあります。
何も情報をいただけない場合は、こちらからリサーチするしかありません。例えば、飲食店からチラシの依頼があった時に、お店に行って客層はどんな人が多いのか、実際に食べてみて何が売りなのかを自分なりに考えてデザインを提案しています。
デザインに対して明白な何かが提示されることが少ないので、依頼者の顔を見かけると、なるべく声をかけてコミュニケーションをとるようにしています。
エンドユーザーの顔が見える仕事
1年目は、関西時代のつながりからの仕事依頼があり、半分以上は島外の仕事でした。2年目から徐々に割合が変わってきて、今では8割が島内の仕事です。
島に来る前は、島ではデザインの需要が少なく島内の割合はもっと少ないだろうと思っていましたが、予想よりも早いスピードで割合が逆転しました。
島内の仕事は、エンドユーザーの顔がわかり、反応をダイレクトに感じられるのはいいですね。「あのポスター作ったのね!いいね!」と直接言われると嬉しく、それがプレッシャー、モチベーションとなり、もっと喜んでもらうために、もっと勉強しようと思います。
感動のあまりSNSへ投稿
「こういうテイストのデザインをする人」というイメージが付いてしまう懸念があり、手がけた仕事を自分自身のSNSなどで発信することは少ないですが、島の一大イベントジョギング大会で、自分がデザインしたTシャツを着た2000人余りの人を目の当たりした時は感動のあまりSNSに投稿しました。
島のために何かしたい
美術関係への進学を目指している高校生にデッサンを教える機会があり、その時に先生から島の子どもが置かれている現状を聞き、何かしたいと思いました。この思いは、島に来なければ湧かなかった気持ちです。
自分だったら何ができるかと考えると、絵を描く楽しさを教えることだと思い、臨床美術士の資格を取ることにしました。絵を描くことで脳を活性化させる臨床美術は、認知症や発達障害などこどもケアの分野で効用が期待されていて、高齢者、子どもが多い島で役立つのでは?と思ったのがきっかけです。
介護、保育の現場は未経験なので、いろんな方々のサポートをいただきながら体験の機会を作りたいと思っています。
【 臨床美術士ワークショップで描いた絵 】 【 臨床美術士ワークショップの造形物 】
時には農家さんのお手伝い
余暇に使うお金が減った分、支出は減りましたが、離島ゆえに島外に出る交通費が大きな出費です。
時々、夫が働いている畜産農家で牛の餌やりや、じゃがいも農家さんで芋の選別をすることもあります。肉体労働なのでいい気分転換になります。
普通のお姉ちゃんがデザインをやっている
アーティスト気質の気難しいデザイナーにならないように心掛けています。普通のお姉ちゃんがデザインをやっていて、お客さんの思いを形にしていく事務所だと思って気軽に声を掛けていただければと思います。
島に来た当初、「デザイナー人生で今が一番楽しい!」と青春真っ盛りみたいなことを言っていましたが、現在は、誠実にデザインをやるために、もっと力をつけたい、離島でもこんなことが出来ると島の若者に伝えられたらと思っています。