2016年東京都からIターン
家族構成:夫婦・子ども2人(1歳・3歳)
職業:美容師
さかのぼること13年前
私が通っていた美容専門学校に、ネパールの子ども達を支援するボランティア団体があったのが事の発端です。
卒業後、その学校で先生として就職、学生の頃よりも深くボランティア団体のお手伝いをするようになりました。
ある日、校長先生に「ネパールに行ってみたら」と言われ、実際に現地へ行き、子ども達に文房具を渡したり、日本の文化を伝えたり、井戸掘りのお手伝いをしました。
美容師になりたい人の夢をかなえるお手伝いをしたいと、美容専門学校の先生になったのですが、一生懸命頑張っても自分の夢をかなえるのが難しい現地の子ども達を目の当たりにし、このまま先生を続けてもいいのかと葛藤がありました。結局、美容専門学校の先生は3年で辞めました。
“シャンティ”を感じられる地で暮らしたい
美容専門学校を辞めてからもボランティア団体と繋がっていました。その中でマザーテレサの活動を知り、24歳でインドのコルカタにあるマザーテレサの施設で、約6カ月ボランティア活動をしました。その施設には、世界中からボランティアが来ていて、最も多いのが20代の日本人でした。
日本人のボランティア仲間との語らいの中で、心の平安や平和を意味するサンスクリット語の”シャンティ”という言葉が話題になり、「インドやネパールで使う”シャンティ”と英語の”ピース”は同じ意味でもニュアンスが違うよね?」「犯罪がない大都会が”ピース”で、田舎のゆっくりした感じが”シャンティ”だよね」というやり取りがありました。
その時に、将来は”シャンティ”な場所で暮らしたいと思いました。その気持ちは、東京に戻ってからも心の中にずっと残っていました。
沖永良部島出身の妻と出会う
東京に戻り、引越し屋、バーテンダー、弁当屋、消防設備点検などの仕事を経験しました。28歳の時に、このままじゃまずいと思い、美容専門の求人サイト会社で広告営業に就きました。
働いて2年目の頃に妻と出会い、付き合う少し前に沖永良部島出身だと知りました。
沖永良部島に初めて行ったのは、祖母の米寿祝いの時でした。
宴席で伝統芸能を見ながら島の人達と酒を酌み交わしました。短時間ではありましたが、日常の中に伝統や歴史、文化、風習が色濃く残っていて、日本の古き良き姿を垣間見ることができ、それはインドやネパールで感じた”シャンティ”な感覚でした。
移住2年前から準備
移住の準備は、移住2年前から始めました。先ず始めたのは、生計が成り立つ仕事探しです。
島にいる義母が昔やっていた美容室が空いていたので、美容室をやるのが手っ取り早く、美容学校に行かせてくれた両親への親孝行にもなればと思いました。
美容業界の求人広告営業で、1000店以上の美容室を訪問し、美容室が抱えている問題やどういう美容室が繁盛しているのか、ある程度わかっていたので不安はあまりありませんでした。
美容室をやるなら、当時急成長中だった安価で短時間を売りにしているカット専門店だと決めていました。急成長している理由がわかっていたからです。カットだけでいいというニーズは都市部に限らず島でもあると確信していました。
移住に向けてスキル磨き
やることが決まり、1年半スキル磨きに専念。実は、美容師免許を持っているが実店舗でのカット経験がなく、32歳にして初めて現場経験のために1000円カット店で働きました。
普通の美容室では、お客さんのカットに入るまで最低1年以上掛かりますが、1000円カットの場合、短期間でカットに入ることができます。現場経験はなかったが、美容専門学校の先生経験が活きてすぐ入客することができ、1カ月500人のペースでカットができるので短期間でスキルアップが可能になります。
移住1カ月後に美容室オープン
美容室の設備は、義母が使っていたものをそのまま使っていますが、内装はリフォームしました。
移住約1カ月後に美容室をオープンし、お陰様で今では新規のお客さんの合計が1300人を超え、島民の10人に1人は来店したことがある店となりました。
お客さんの大半が、2、3カ月に1回の来店のため、1000円カットのみでは経営的に厳しくなり、2年目にはサービスメニューの見直しと価格の値上げをしました。
お客さんが「こんなに安くて大丈夫?もう少し上げてもいいよ」と言ってくれたのもあります。
値上げしたことによってお客さんが若干減りましたが、売上は変わりません。
空き家を改修した住まい
住まいは、妻の実家がある集落で、空き家を改修して集落を活性化しようと、空き家プロジェクトが動いていて、プロジェクトで改修された空き家を借りることにしました。
義母は、実家の近くに改修された空き家があることを聞き、美容室を譲る決心したらしいです。タイミングがよかったのもありますね。
家族との時間を大切に
移住してよかったのは、家族との時間が増えたことです。東京にいた頃は、仕事が終わって急いで帰ったとしても家に着くのは9時過ぎ、9時だと子どもは寝ていて、子どもと何かをやるなんていうのは無理でした。
今は、7時頃には家に居て一緒にご飯、お風呂が当たり前になりました。東京にいたら無理だったと思います。
島の人達は、家族との時間を都会の人の何倍も掛けているような気がします。それだけ、家族、親戚とのつながりを大切にしているのだと思います。
地域コミュニティを大事に
島では、日常の中に伝統や歴史、文化、風習が溶け込んでいます。地域の行事に自ら進んで参加することによって”島”に受け入れられると思っています。